元総理の息子として知られている小泉孝太郎さん。そんな小泉孝太郎さんには生き別れの弟がいるようです!小泉孝太郎さんの父や母、兄弟など、気になる家族情報について調べてみました。
小泉家の家系図
小泉孝太郎さんは、父は元総理大臣の小泉純一郎、弟は政治家の小泉進次郎さんという政治家一家です。

また、政治家一家である石原家が遠縁にあたります。
血のつながりはありませんが、小泉孝太郎さんと石原良純さんは遠縁ということで、テレビでも紹介されていました。

政治家の一家は、遠縁にはどこかしら繋がっていますね。



小泉孝太郎の家族構成
小泉孝太郎 プロフィール

名前:小泉 孝太郎(こいずみ こうたろう)
生年月日:1978年7月10日
出身地:神奈川県
身長:177cm
血液型:AB型
職業:俳優、タレント
所属事務所:イザワオフィス
小学校・中学校・高校は?
小学校・中学校・高校の一貫校から「関東学院六浦」の私立に通う
- 関東学院六浦小学校
- 関東学院六浦中学校
- 関東学院六浦高等学校:野球部所属
俳優を志す・芸能界に入るきっかけは?
・高校時代、野球部で甲子園を目指していたが、3年時に腰を痛めベンチに回り、チームは地方大会で敗退し、野球の道を断念しました。
・父の小泉純一郎から「政治家への道を反対され、ほかに夢中になることを探せ」と言われ、俳優を志す。
1. オーディション落選
関東学院大学を中退し、オーディションを受けますが、落選していたようです。
・「21世紀の石原裕次郎を捜せ」;身長が180cmに満たなかったために二次審査で落選
2. X Japan「hide MUSEUM」でYOSHIKIさんと運命的な出会い
同郷の神奈川県横須賀市出身であるX JAPAN・HIDEさんの「hide MUSEUM」でアルバイトをしていたとき、そこにYOSHIKIさんが来館し、孝太郎に「芸能界に入った方がいい」と勧めたそうです。
YOSHIKIが来館することがあったそうで、特別に面会してもらえる機会が与えられた。
緊張しっぱなしの小泉を見て、YOSHIKIは「彼、芸能界に入れた方がいいよ」と、同席したレコード関係者にまさかの推薦。
「頑張ってね、こっち(芸能界)においで」と手招きしてくれたという。
スポニチより
20年ぶりにYOSHIKIさんと小泉孝太郎が再会!
2022年5月26日、TBS「ニンゲン観察バラエティ モニタリング2時間SP」の企画で二人が再会します。
その時に、YOSHIKIさんは、当時のことを語っています。
「もうデビューされてるのかと思ってたんです。“絶対にこっちの世界に来た方がいい”と。成功するという『オーラ』が見えてました」

3. スカウトされる
2001年、父が総理大臣になると、「小泉総理の長男(孝太郎)はかなりのイケメンらしい」という評判や、既にオーディションに応募していたということもあり、複数の芸能事務所から声がかかり、芸能界入りしたそうです。
デビュー
デビューすると同時に、15社からCM出演依頼が殺到していたようです。

代表作:
・2007年『ハケンの品格』
・2008年『ごくせん 第3シリーズ』
・2015年『下町ロケット』
・2018年『ブラックペアン』
・2022年『鎌倉殿の13人』
・『魔性の群像 刑事・森崎慎平シリーズ』
・『杉村三郎シリーズ』
・『刑事吉永誠一 涙の事件簿』シリーズ
・『ミステリー作家・朝比奈耕作シリーズ』
ドラマ、CMと数多くの作品に出演し、着実に俳優として実力をつけていきます。
父:小泉純一郎
父は元内閣総理大臣、小泉純一郎

小泉純一郎
生年月日 1942年1月8日(81歳)
出身地:神奈川県横須賀市
出身校:慶應義塾大学経済学部卒業
1972年:第33回衆議院議員総選挙で初当選
2001年4月26日 – 2006年9月26日:第87-89代 内閣総理大臣
小泉純一郎は、2001年から2006年まで日本の首相を務め、その在任期間中に大胆な改革を推し進めました。
彼の最も有名な業績は「小泉改革」として知られ、日本の経済、政治、外交に大きな影響を与えました。
有名な言葉「自民党をぶっつぶす」
小泉劇場:
この言葉は、小泉純一郎の首相在任期間中に行われた政治活動と政策についてのメディアと一般の注目を指しました。小泉純一郎のカリスマ的なリーダーシップや独自の政策提案、魅力的なパフォーマンスが、政治を「劇場」のようなものとして位置づけられたことを反映しています。
小泉純一郎はメディアにおいて非常に注目され、その斬新なアプローチが「小泉劇場」として表現されました。
小泉ガールズ
これは、小泉純一郎の政治的支持者や彼の指導の下で政治に参加した女性たちを指す言葉です。
小泉の人気とカリスマ的な魅力が、特に若い女性層から支持を受けたため、「小泉ガールズ」という表現が使われました。これらの女性は、小泉の改革政策を支持し、その影響を広げる一翼を担いました。

小泉ガールズってありましたね。
その後、○○ガールズという名前が付くようになりましたね。
父、純一郎と、孝太郎、進次郎


長男の孝太郎は、父で元首相の小泉純一郎氏(について、「10代後半、20代前半の頃は、父親の存在が邪魔だった」といい、「名字を名乗りたくなかった」と語っていました。
現在の小泉純一郎さんは?
政界から距離をおいえて隠居生活を送っていると言われています。
講演会なども行っていたようですが、2022年7月の講演を最後に「もうやらない」とし、講演活動の引退となったようです。


弟:政治家・小泉進次郎さん
小泉孝太郎さんの弟は、政治家として活躍されている小泉進次郎さんです。


小泉 進次郎(こいずみ しんじろう)
生年月日:1981年4月1日
出身地:神奈川県横須賀市
血液型:AB型
2004年 関東学院大学経済学部経営学科卒業
2006年:コロンビア大学M.A.修士の学位取得
2009年〜:衆議議員
2019年:滝川クリステルと結婚
初当選(28歳)
過半数の投票を獲得し初当選
2009年(28歳)、父純一郎の引退後、後任候補として第45回衆議院議員総選挙に神奈川11区に出馬し、投票総数の過半数である150,893票(得票率57.1%)を獲得して初当選します。


伯母道子さんの存在
道子さんは49歳の時、弟の純一郎が離婚したため、当時孝太郎は4歳、進次郎は1歳を育てることになったようです。
孝太郎さんと進次郎さんは、伯母にあたる道子さんを実の母と信じており「ママ」と呼んでいたそうです
父親の純一郎さんは、孝太郎さんが高校2年、進次郎さんは中学二年生まで「ママ」の道子さんは本当は伯母だと伝えてなかったそうです。
後に、孝太郎さんは自分はその前から知っていたと語っていました。
進次郎さんは中学2年生の時に事実を知った時ショックを受けながらも『本当の母親だよ』と言い切ったそうです。
「49歳でいきなり2児のママになったんですから、大変だったと思います。小さいころの進ちゃんは身体が弱くてね。夜中に高熱が出ることも多くて、その度に道子さんが抱きかかえて病院へ連れて行っていました。でも彼女は『本当に手のかかる子だけど、その分、情が深くなるのよね』と笑っていました」
女性自身より
「進ちゃんが小学生のとき、『ママはどうして友達のママみたいに若くないの?』と言って泣かれたことがあったそうです。あのときばかりは、道子さんも本当に困った表情をしていましたね……」
2016年8月20日、小泉純一郎元首相の姉・道子さん(享年84)が亡くなられたそうです。




仲の良い兄弟
小泉孝太郎さんと進次郎さんは、仲が良い兄弟のようです。
お正月は恒例「1月2日は毎年恒例だけど、兄やムロさんと過ごしました」ということです。


明日はおにいの誕生日。
仕事の後にふらっと会いに行ってきました。久々に一緒にゴルフしたかったけど間に合わなかった…。
母:宮本 佳代子
母はエスエス製薬の創始者(泰道照山)の孫娘
小泉孝太郎さんの母は、エスエス製薬の元会長である泰道照山さんの孫娘の宮本佳代子さんだそうです。
小泉純一郎との結婚は1978年から1982年と4年間でした。


宮本 佳代子(みやもと かよこ)
生年月日:1957年生まれ
出身 : 神奈川県鎌倉市
最終学歴 : 青山学院大学
1978年:小泉純一郎と結婚
長男孝太郎出産・次男進次郎出産
1982年:離婚、三男宮本佳長出産
宮本アソシエイツ 代表
長男孝太郎、次男進次郎とは離婚後、生き別れ状態
小泉孝太郎さんが幼いころに両親が離婚したため、
父の小泉純一郎さんに引き取られた小泉孝太郎さん進次郎は、母とはそれ以来、生き別れ状態だったそうです。
2013年11月に三男の宮本佳長さんの結婚式で30年以上ぶりに再会されたようです。
小泉純一郎との結婚は?
佳代子さんは大学4年生だった1977年に小泉純一郎さんとお見合いし、その当日にプロポーズを受けたそうです。
しかし、佳代子さんの母方の祖父泰道照山さんは反対し、絶縁寸前になったようです。
その際、小泉純一郎さんからは、“何の心配もいらない。僕たちの結婚には関係ない。白紙のままで来てほしい。”と言われ、結婚されたそうです。
しかし、小泉家に入った佳代子さんは、4年という短い結婚生活となったようです。
離婚時には、三男の懐妊中であり、離婚後に三男を出産することとなります。
離婚後、シングルマザー・キャリアウーマンとして活躍
その後、宅建取引主任者の試験を1ヶ月勉強し1回で合格し、三井不動産系の不動産会社に就職し、シングルマザーとして仕事と育児を両立していたそうです。
宮本 佳代子さんの現在の経歴:
宮本アソシエイツ 代表
「伝説の不動産コンシェルジュ」と呼ばれている
三井不動産のグループ会社にて約40年にわたり不動産営業のトッププレイヤーとして個人・法人向けの不動産売買仲介や相続、投資、資産活用のコンサルティング業務で大きな実績を残す。
現在はM&A大手のストライク(東証プライム上場)をはじめゼネコン、IT関連企業、スポーツを取り入れた幼児教育企業、弁護士事務所など十数社にも及ぶ多彩な有望企業の顧問、特別顧問としてあらゆる業界の人と人をつなぐコンシェルジュとして全国を奔走している。



「伝説の不動産コンシェルジュ」と呼ばれ、今でも活躍しているそうです!
すごいですね。
末弟:宮本 佳長
孝太郎さん、進次郎さんは、弟である宮本佳長さんとは生き別れ状態だったようです。
佳代子さんは妊娠6か月の時に離婚したため、末弟、宮本佳長さんは離婚後に生まれました。
そして、小泉家とは縁を持たないまま、母親(宮本佳代子さん)が育てました。
宮本 佳長(みやもと よしなが)
生年月日:1983年生まれ
中学卒業後に渡米してテネシー州の高校に留学
最終学歴 : 京都外国語大学
母親と同業の不動産会社に勤務
宮本佳長さんは若い頃に純一郎さんの事務所に「父親と二人きりで会いたい」と電話をかけたことがあったそうです。しかし、純一郎さんの実姉の信子さんに「血は繋がってるけど親子関係はない」と冷淡に言い放たれたそうです。
30年以上ぶりの家族再会
父親の小泉純一郎さんが政界を引退し、後継者として進次郎さんが受け継ぐことになり状況が変わってきたそうです。
父純一郎さんから「家のことは任せた。お前たち3人は兄弟なんだから仲良くすれば良い。」と言われて、末弟の宮本佳長さんと連絡を取るようになったようです。
その後は、兄弟3人で会うようになり、そして父親を含めた食事会をセッティングすることになりました。
2011年に純一郎さんと三兄弟が4人揃って会食していたようです。
奥から長男の孝太郎(32)、父親の純一郎元首相(69)、次男の進次郎氏と順番に座っていく。
そして、最後にいちばん下座にあたるドア側の席に座ったのは、三男のAさん(28)だった。
しかし、Aさんといえば、父・純一郎氏と絶縁中のはず。
「実は純一郎元首相は、政界引退後、孝太郎さんと進次郎さんの仲介で、Aさんに何度か会っているそうなんです。父親として、やり残したことという思いもあるのでしょう。でも、長年、会っていなかっただけに、なかなか打ち解けるには至らなかった。そこで、進次郎さんは孝太郎さんと話し合って、忘年会という名目で、一緒に食事会でもして、ふたりの距離を縮めようとしたんです」
さらに、宮本佳長さんの結婚式には、兄弟3人と父、純一郎さん、母宮本佳代子の5人が顔を合わせたそうです。
30年以上ぶりに家族再会となったようです。
佳長さんが一番お父さんに似ているそうです。



最終的に親子、兄弟が会えるようになり良かったですね。
小泉孝太郎一家の家系図・家族構成を調べましたが、小泉兄弟はイケメンですね。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。