三笠宮家の彬子さま(42歳)、ご結婚されない3つの理由!京都での1人暮らしが原因?

三笠宮寛仁さまの長女で皇族最年長の彬子(あきこ)女王のご結婚されない理由とは?彬子さまは麻生太郎副総裁の姪にあたります。

目次

彬子さまが結婚されない理由は?

三笠宮家の彬子さま・瑶子さま姉妹はご結婚されないことに様々な声があるようです。

長女である彬子さまは独身皇族の最年長の42歳を迎えられました。

なぜご結婚されないのか調べてみました。

2024年新年の宮中行事で愛子さまの隣に彬子さま↓

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彬子(あきこ)さまについて

彬子さまは「ヒゲの殿下」で親しまれていた三笠宮寬仁親王殿下の長女として誕生された女性皇族です。

彬子女王(あきこじょおう)
生年月日:1981年12月20日
続柄 寬仁親王第1女子
身位 女王
敬称 殿下
お印 雪
父親 寬仁親王
母親 寬仁親王妃信子

母親の信子さまは麻生太郎副総裁の実妹なので、彬子さまは麻生太郎氏の姪にあたります。

彬子女王殿下
・今上陛下の再従妹にあたり、現在の皇室典範が制定されて以降初めての女性皇族
・三笠宮寬仁親王殿下の長女
・未婚の皇族女性では最年長
・英国オックスフォード大学で博士号を取得された才女

三笠宮彬子さまは、皇族の中でも特に学術的な活動に力を入れておられます。

イギリスのオックスフォード大学で6年間留学され、哲学の博士号を取得されました。

学歴
  • 松濤幼稚園1年在籍後→学習院幼稚園に移る
  • その後学習院で教育を受ける
  • 2004年:学習院大学史学科卒業
  • 2004〜~2010年:英国・オックスフォード大学マートン・コレッジご留学
  • 2010年:オックスフォード大学博士課程修了,博士号(D.Phil.)取得

海外の大学で博士号を取得したのは皇族の中でも秋篠宮文仁親王に続いて2番目であり、非常に珍しいことだったようです。

2011年5月28日、オックスフォード大学学位授与式にて(Wikipediaより)
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役職
  • 日本ラグビーフットボール協会名誉総裁
  • 一般社団法人心游舎総裁
  • 日本・トルコ協会総裁
  • 公益社団法人日本プロスキー教師協会総裁
  • 公益財団法人中近東文化センター総裁
  • 三笠宮記念財団総裁
  • 一般社団法人日英協会名誉総裁
  • 立命館大学衣笠総合研究機構客員協力研究員
  • 法政大学国際日本学研究所客員所員
  • 京都市立芸術大学芸術資源研究センター客員教授・特別招聘研究員
  • 京都産業大学日本文化研究所特別教授
  • 國學院大學特別招聘教授

2012年には自ら立ち上げた一般社団法人『心游舎』の総裁に就任され、子供に日本文化を伝える活動にも携わられています。

現在は京都産業大学や立命館大学などの大学で特別教授や客員教授、
そしてご公務の活動をされております。

2021年、京都産業大学のシンポジウムの参加する彬子さま↓

ご公務:
2024年4月、明治天皇の后・昭憲皇太后の110年祭にあたり、明治神宮を参拝する彬子さま↓

FNNニュースより

三笠宮家の家系図はこちら>>

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結婚されない3つの理由

三笠宮彬子さまが結婚に至らなかった理由については、いくつかの要素が考えられます。

① 過去の交際

彬子さまは過去に交際されていた研究員仲間の男性がいました。

2004年からイギリスに留学されていた頃から、研究員仲間との交際がささやかれていました。

その研究員の男性とはイギリスでも京都でも肩を寄せ合って歩く姿や手つなぎデートが目撃されていたようです。

しかし、その関係は破局し、その男性はすでに別の女性と結婚しています。

そのお相手が『令嬢キラー』といわれていた男性で評判はあまりよくなかったそうです。

そのようなことで、彬子さまは男性への不信感が生まれたかもしれません。

その後は彬子さまは、心游舎の立ち上げや、ご公務と研究に邁進されています。

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② 三笠宮家への思い・母との確執

彬子さまは三笠宮家を守りたいという強い思いをお持ちで、そのために結婚に積極的でなかった可能性があります。

亡き父の思いも強く三笠宮家を継承するという覚悟をお持ちのようです。

寬仁親王

寬仁親王(ともひとしんのう)
三笠宮家

  • 生年月日:1946年1月5日〜2012年6月6日(66歳没)
  • 父親 三笠宮崇仁親王
  • 母親 崇仁親王妃百合子
  • 栄典 大勲位
  • 「ヒゲの殿下」の愛称リスト

“私が皇室を離れれば、ほかの皇族の負担が増えてしまう”というお気持ちもあるようです。

また、彬子さまの母である信子さまの間には大きな確執があるようです。

母・信子さまと長女・彬子さま

2015年、長女・彬子さまが『文藝春秋』に寄せられた手記に母・信子さまとの関係について綴られていたようです。

《母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと話をすることができていない

週刊女性より

父・寛仁さまの遺志により、葬儀の喪主は彬子さまが務められ、葬儀には信子さまのお姿がなかったそうです。

さらに、2016年10月27日、三笠宮さまのご葬儀も、ご高齢の喪主百合子さまの代わりに、孫である彬子さまが取り仕切っていたそうです。

2012年寛仁さま薨去から100日の節目を弔う「墓所百日祭の儀」で喪主をつとめる彬子さまと瑶子さま(AERAより)

現在、祖母・崇仁親王妃百合子さまが三笠宮家の当主ですが、次期当主は信子さまになるようです。

しかし、彬子女王さまは、将来的に信子さまが当主になることを阻止したいから独身でいるとも言われています。

そのため、彬子さまはご自身が「三笠宮家を守る」という気持ちがとても強いようです。

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③ 京都に生活の基盤がある

彬子さまは、現在京都の大学で活動が多いことから、京都にお住まいを購入されました。

京都で研究生活を始められたころには、皇室にご縁の深い寺院の庵にお住まいだったそうですが、数年前にマンショ購入したようです。

京都での1人暮らしの基盤をつくっているため、結婚へ関心がなくなっているのかもしれません。

京都の購入したマンションは、一等地の5000万円のマンションという報道があります。

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まとめ

彬子さまは、三笠宮家の長女で家を守るという強いお気持ちや、現在、京都での生活が充実しているため結婚が遠のいているようです。

一番の年長者ということで責任感もお強いのかと思います。

今回は彬子女王殿下について調べましたが、とても聡明な方でした。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

妹・瑶子さまについてはこちら>>

三笠宮家の家系図はこちら>>

伯父にあたる麻生太郎についてはこちら>>

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